部屋の中、ただ荒い吐息だけが聞こえた。
短く突き出すようだった声は次第に弱まり、浅い呼吸音へと変わっていく。最後には、ハァと小さなため息となって肺から落ちた。
忙しなく動いていた手もまた、ごろんと布団の上へと落ちた。
物足りない。
三笠楠之助は不満げに一言唸り、その逞しい身体を捩った。視線を下へと、自身の下半身へと投げた。
右手の中でビクビクと脈打っていた肉棒は、更なる刺激を求めてまだ先走りを垂らしている。普段それを隠しているジョックストラップは膝まで下がり、よく鍛えられた腿の半ばに引っ掛かっている。着たままのTシャツはぐっしょり汗で湿っていた。
代わり映えのない、一人での性行為だ。
日に三度。
していることにも、たっぷりと性欲の詰まった下半身には変化はない。今までなら、肉筒を掴み扱き始めれば、達するまで猿のようにコキ続けていた。ずっとそうしてきた。
あの日までは…。
「足らん…足らんばい…」
忘れようとしても、切り離そうとしても、どうしても芯があの日にしがみついてた。
何百と繰り返してきた自慰と、刺激自体に変わりはなかった。ないはずだ。それなのに、今まで知るどの快楽ともまるで違っていた。
熱気と光の中、自分が何を言ったかも、まともに思い出せない。何をしたかも確かでない。
覚えているのは、あの音だけ。
狂ったように聞かされた、あのシャッターを切る音だけだ。
「うぅ…お…」
寝転んだ上体を起こすと、三笠は万年床から立ち上がった。腿に掛かっていた下着が、音もなく下へと落ちた。それに気も向けず、覚束ない足取りでフラフラと、何かに操られるように枕の横へ、丸まったビニール袋へ向かって歩く。
勃ち上がったままの肉棒がぶらぶらと揺れ、淫猥な影が夕暮れの赤い日差しに浮かんだ。
そんな己の痴態に唾を飲み込む。
こげん格好ばして、わし……、ハァ…。
こんな人間ではなかった、筈だ。しかしその抵抗より、興奮に支配されてしまう。
そうたい、あれが…あれが…足らんと。
屈みこみ、袋の中を漁る。目的のものはすぐに見つかった。当然だ、その為に用意したのだ。
三笠は子供のように目を輝かせ、右手に握ったものを見た。安物の使い捨てカメラだ。
レジに出す時、心のなかで言い訳をしていた。男らしくない事だ、そうは思ったが、赤面するのを抑えられなかった。
窓に向かい、外の何でもない風景に向け、一度シャッターを切る。こんな使い道ならば、ただの娯楽品だ。本当に何でもない、ただのカメラだ。
わざとらしい音がした。いかにもシャッターの音のような、軽い音。
あの日聞いた音はもっと、機械的に整っていた。そんな気がした。
それでも三笠の心臓は、自慰をしていた最中より高鳴っていた。
外の風景に変わりはない。しかし、その一瞬、風のうねりや埃すら、一枚の絵にして残してしまう。それが写真だ。
一生残るのだ。形になって。
どくんと、触れられてもいない肉棒が上へと跳ねた。
今の自分は、膝を折り、股を開いて爪先立ちになった姿だ。
そげん…格好で…。
それなのに、チンポはびくびくと形を増していく。扱いてもいないのに、チンポが、半身全てが熱を帯びていく。
三笠は他に見せないような繊細な動きで、カメラをゆっくりと反転させた。窓の外を向いていたレンズが、こちらを見た。
無機物の目。誰の目でもない。けれどそれは、誰の目にもなる目だ。
ごくりと唾を飲み込む、同時に人差し指に力がこもった。ゴツゴツした指がそれだけで、シャッターを押し込んだ。
「う、ひ…っ!」
光が顔と体を覆い、無機質な音が部屋に響いた。撮られてしまった。
違う、撮ったのは、自分だ。
自分で、いやらしく一物をヒクつかせる姿を、絵にして残してしまった。
「あぁ…ぁ……」
血が頭を巡り、全身がカッと熱気に包まれた。そのまま三笠は、ずっと足りなかったものがスッと胸へと嵌る感覚に飲み込まれた。
たまらん…。…ああ、たまらん…!!
一度感じてしまってからは、坂道を転げ落ちるようだった。
「はァーっ!ぁ!…おぉおお!撮られ…おおっう!」
喘ぎ声と一緒にシャッターを切る音が、ではなく、シャッターを切る音で三笠が喘ぐ。
勃起した肉棒に手を当て、根元からグチグチと音を立ててシゴキ上げる。時折に、その姿を写真に残す。
「おぉぉ、おぉぉ…、うぉ、はっ!…おぉぉッ!」
恥も外聞もない。あるのは快感だけだった。絶頂が三笠の全てを支配していた。
撮られることの快楽に、目覚めてしまった。教え込まれてしまった。
そんな男の、たった一人の撮影会。
いやらしい己の姿を何度も、向きを変え動きを変え撮影する。
倒錯的なその行為が、カメラから出る音が、三笠の思考を白く塗り替えていく。溺れいく。
鍛え上げた尻を突き出し、チンポの頭を下げて扱く。大きな背中、大きな尻、その裏側からもはみ出て見えるチンポを撮る。
とろとろとした先走りが線になって床へと落ちた。その光る糸すら写真に残る。
アメフトの為に鍛え上げた大きな体が、ただ快楽を貪る為だけの道具に成り下がる。
「ハ…ひ!…こげんこと…自分で…おぉお!」
横たわり、カメラを再び正面に持っていく。左足は投げ出したまま、右足を情けなく上へと開く。一番隠すべき所をおっぴろげた情けない姿。カメラの小さな小さなレンズに、それが写っている。
こんな姿を誰かに見られたら。
してはいけない事をしている。
その自覚がそのまま快楽となって、重く深く三笠の胸へと伸し掛った。
締め付けられた胸から出た息は、さらに熱と甘さが濃くあった。
ハァ…。
荒い息に混じって唾が飛ぶ。
どんな顔をしている?
あの時以来に、尻穴が疼いていた。その欲求に抗うことなく、三笠は指を沈めていく。ぐりぐりと腸壁を押してやると、新たな快感と熱が体内に生まれるようだった。
撮られて、自分で撮りながら、こんなにいやらしい格好をしている。
見せたい、もっと見られたい。この逞しく鍛え上げた身体で、こんなに腰を突き出して、尻を弄り、いやらしい姿をした自分を見られたい。
撮られたい。もっと、撮られて、そして。
「ア…ハァー、…おぉおお!おお、イくぅ…、もぉ、も…あぁ、いくばい!」
誰かに聴かせるように声にだし、三笠がゴツゴツとした腰を一層前へと突き出した。少しでもカメラに近づけ、見せつけるように。
仮面が崩れ落ちたように、厳つい三笠の顔から覇気が消えていた。頬は上がり、眉は下がり、目を濡れそぼって一点を見ていた。カメラのレンズに、その向こう側へと吸い込まれるように。
「おぉ!お゛…ほぉ!おおぉぉううう!」
白い線がどぷりと飛び、放物線を綺麗に描いた。みにくくいやらしく変わった三笠の姿と、対照的に。美しく。
射精の後、ぼんやりとした腕からカメラが落ちた。布団の上で小さく弾み、呆けた三笠の顔のすぐ近くへ転がった。
この小さな四角には、己の痴態が全て収められている。もしも後輩やチームメイトの手にわたりでもしたら、今ある全てを失いかねない。
恐ろしいものの筈なのに、しかし三笠は愛しさすら感じさせる顔でそれを見ていた。
しかし見ることは出来ない。
この中身。こんな写真を現像する術を、三笠は知らなかった。安堵以上に、焦燥が胸にあった。
「もう…むりたい…我慢できんと…!」
三笠は言うが早いか、力の抜けた体で四つ足の獣のように這った。汚い机の引き出しの、三段目の奥へと手を伸ばした。そのさらに奥、隠すように置かれた小さな茶封筒を取り出した。
あの日の撮影会の、その後日に渡された封筒だった。顔もまともに見れず、しかし断ることも出来ずに受け取ったものだ。
今までどうしても開けることができなかった。その封筒を、今は望んで引き裂いた。
「あ、…あ…?…ぁああ」
震えた手から、ボロボロと写真がこぼれて落ちた。
重なっていた写真が散らばり、床一面に広がった。
三笠が慌てて視線を下にすれば、部屋の中は、どこを向いても己の痴態が埋め尽くしていた。
「あああ…こげなもん…わし…こげん…!」
気取った顔があった。写真を撮られてすぐの時だ。
戸惑った顔があった。次第に要求がエスカレートしてきた時だ。
恥じらうものがあった。既に何かに飲み込まれていた時のものだ。
そして一枚。
だらしなく眉を下げ、舌を突き出し、喜びながら己の肉棒を扱き上げる男がいた。
「わしか…こげん顔しちょるんが…こげんやらしか男が…!」
動揺に喘ぐ声は、微かに喜びを見せていた。達したばかりの腹の奥が、もう熱い。
たじろいだ三笠の足に、写真より幾分薄い紙が当たった。
他とは違う、白地に少なく文字が書かれているだけの紙。素っ気のないそれは、しかしどの写真より三笠の体を熱くさせた。
番号のつづりと、名前。そしてただ一言の伝言。
膝が崩れ落ち、三笠は写真の中央で呆然としていた。
己の痴態に包まれて、三笠は再び肉棒を扱きだした。雄汁まみれの先端から、ぐちゅぐちゅ音が鳴っていた。
一度達した性器から、白濁液が一滴垂れた。
あたかも写真から抜けだしたかのように、足元の写真が精液で濡れていた。
『またいつでも撮ってやるからな 実田影司』
- 2010/08/31(火) 04:24:15|
- 【二次創作】|
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